私とアマチュア無線  

2009年9月16日 by JF1WQN /JA3TFI

 195?年4月に京都府北部の舞鶴市で生まれ、海が見える(ただし外海ではなく舞鶴湾)谷間の集落で育ちましたので、「岸壁の母」で有名になった中国・シベリアから引き上げてくる方を乗せた船が記憶にあります。

 

 中学生になって部活で無線局を開局した3年生の先輩と出会い、これがHAMの世界に入り浸るきっかけになりました。

 当時の憧れはTX88、9R59にVFO1を持つことで、中学の先輩はすでにこれらをそろえており(今でもこの先輩はJA3HBxで健在)、時折この先輩のシャックでアンカバーバンド(7.110MHz付近)を聞いていましたが、今ではそのバンドも7MHzの拡張で正規のバンドとなり、今ではここで堂々と運用しています。

 

 中学2年のときに電話級の国家試験(当時はまだ養成講習会は始まっておらず、国家試験は春と秋の年2回でした)を受けに大阪府の今の守口市まで行きましたが見事に落ちました。

 翌年、再受験し電話級のライセンスを取得しましたが高校受験が控えていたため開局はできませんでした。

 

 当時の無線従事者の免許証には郵政大臣の印が押してあり、免許証の表紙には「無線従事者免許証」と「日本国政府」の印字があり、サイズ小型の手帳なみでまるでパスポートの様です。

 

 高校生になりアルバイトなどでお金をため井上電機(現iCOM)の50MHzトランシーバ「FDAM-3」を購入し開局し、その時に取得したのがJA3TFIのコールサインです。その後一年と少しの間は50MHzでEスポで沖縄や北海道とQSOし、近くの5~800m位の山の上に移動して2,3,4エリアとQSOして楽しんでいました(この時の移動運用が今再燃しているのかも)。

 

 じかし、冬になると50MHzではローカルしかQSOできないため、7MHzに出ることにし、当時HF帯ではAMからSSBに丁度変わったばかりでしたが八重洲(現スタンダード)のFT400Sトランシーバを購入しQSOをはじめました。

 この頃から電話級と電信級(現在の4級と3級)の養成講習会が始まり電信級を取得しましたがCWで本格的にQSOする前に就職し東京へ出てきましたので無線はQRTになってしまいました。

 就職した当初は無線を再開するつもりでしたが、仕事が面白くなりはっと気づいたら15年強も中断状態になってしまい、JA3TFIの局免許も切れたままになってしまいました。

 

 結婚し、子供が生まれ少し落ち着いたときに無線を再開しようという気持ちが強くなり元のコールサインで再開局しようとしたのですが証拠となるものが見つからず、JS3RDZというコールサインで430と144MHzのトランシーバで再開局し、その後藤代に転居してきました。この頃にGNL局や当時のMLのメンバーの何局かと430MHzでQSOしています。

 

 実家に行った際に物置を整理していたら最初に開局したときの開局申請書の控えや局免許が見つかり、これを使って旧コールサインの復活手続きし再びJA3TFIに戻りました(幸いなことに当時は3エリアではJAコールは再割り当てには使われませんでしたので、無事最初のコールが残っていました)。

 

 子供の学校、幼稚園に加えて次男がサッカーを始めたため試合会場への送り迎え等で無線どころではなくなり2回目の休止状態になりましたが、子供が大きくなるにつれまた無線の世界に戻りたいと思い始め2アマに挑戦し合格したため今度はHFに、特に7MHzに戻りたいと思い2年ほど前に二度目の復活を行い7~430MHzでQSOを始めました。

 

 JA3TFI/1でQSOしていると本来の移動局と間違われることが多くなり、なんだかだましている様な気持ちで後ろめたさがあり、1エリアのコールを取ること決め手続きを行いましたら、なんと2008年のクリスマス・イブにJF1WQNのコールがおりましたので、今年のNew Year Partyから本格的に新しいコールサインでQSOしています(時々JA3TFI/1でもでていますが)。

 

 6月頃からは7MHzでの移動運用が面白くなり、ご存知のように今年の夏は帰省した時を含め週末になるとかなりの頻度で移動するようになってしまい完全な無線中毒者になってしまったようです。

 

 

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