2015年(平成27年)は、取手市制施行45周年年になります。 当クラブでは市の後援と総務省関東総合通信局の許可を得て、取手市制45周年記念局8J1TRDを開局することとし、5月1日から運用を開始しました。 記念の交信証を発行いたしますので各局交信をお願いいたします。
また、取手市制45周年記念アワードも発行いたしますので、奮って参加をお願いいたします。
取手市制45周年記念アワード申請期限等
有効交信期間 2015/1/1から2016/2/29
申請期限 2016/3/31事務局必着
★10月31日をもって記念局の運用を終了いたしました。
QSO頂いた各局、応援頂いた各局ありがとうございました。★
名称: 取手市制45周年記念局
記念局開設期間: 平成27年5月1日~10月31日
識別信号: 8J1TRD
周波数等: 1.9~1200MHz SSB、CW、FM
公開運用等も計画しますので、クラブメンバー以外でも参加可能です。
事務局までお問合せ願います。
交信証: 記念交信証はJARL経由でone way にて発送します。
8月下旬および9~10月交信分は11月中発送。
事務局: 茨城県取手市椚木229-10 捧承人宅方
MLウェーブクラブ 市制45周年記念局事務局
e-mail 7k3gnl@jarl.com
★記念交信証の発行状況とお願い
2015年7月末 5月から7月分のQSLカードの殆ど(約4700枚)をJARLビューローに
発送しました。 2015年11月26日、 8月から10月までのQSLカード(最終分)を
JARL ビューローに発送しました。 到着まで暫くお待ち願います。
上記の通り、記念QSLカードは発送済みですが、到着しない場合には、
事務局まで連絡をお願いいたします。
なお、
次の移動運用時にPCトラブルが発生し、一部交信ログが確認ができず、交信証の
発行ができない状況になっております。
交信頂いた各局には大変申し訳ありませんが、ログデータをご確認のうえ、担当
または事務局までご連絡をお願い申し上げます。
1.運用日(交信日) 10月13日(火)
2..運用地と運用時間 群馬県 大泉町 11:00-14:30頃、
群馬県 千代田町 15:00-16:00頃
3.コールサイン 8J1TRD/1 7M SSB
連絡先(担当): 海老原さん jg1vnl@jarl.com
事務局 捧 承人: 7k3gnl@jarl.com
★発行済み取手市制45周年記念交信証(1)です。
★発行済み取手市制45周年記念交信証(2)です。
★発行予定念交信証(3) (9月・10月交信分に対して発送予定 )
2015年は,茨城県取手市の市制施行45周年になることから,同市を拠点に活動するMLウェーブクラブは記念局(8J1TRD)を開局するとともに,記念のアワードを発行することにしましたのでお知らせいたします。
この記念アワードは、日本国内のアマチュア無線局(個人局)に対して発行するもので、概要は、取手市制45周年記念局(8J1TRD)と1交信するほか、MLウェーブクラブメンバー局と一般局との合計で10交信するもので、当該10交信の中にはMLウェーブクラブメンバー局との交信を1交信以上含むもとします。
記念局(8J1TRD)、クラブメンバー局の運用地は問いませんが、一般局の運用地は利根川本流沿川市町村(坂東太郎アワード対象地と同様)とします。
交信期間は2015年1月1日から2016年2月末日、申請期間は2015 年6月1日から2016年3月31日(事務局必着)です。
詳細は、取手市制45周年記念アワード規約の通りですので各局の参加をお待ちしております。
なお、取手市制45周年記念局(8J1TRD)は,2015年5月1日から2015年10月31日まで運用いたします。 (クラブHP http://www.jq1yzd.jimdo.com)
平成27年4月28日
MLウェーブクラブ会長
捧 承人
補足(7/13)
1.記念局8J1TRDとは1交信が必要です。
2.メンバー局と一般局との合計で10交信が必要です。
メンバー局とは1交信以上が必要です。
一般局には社団局(記念局)は含まれません
3.一般局の運用地は利根川本流沿川市町村になります。
(坂東太郎アワードと同じ市町村)
JA1KPL |
JA1QKW |
JA1TST |
JA1UJZ |
JE1JHK |
JE1PYH |
JF1WQN |
JG1VNL |
JH1AHU |
JH1KFT |
JK1IDV |
JP1JKH |
JQ1KRT |
JA3TFI |
JA7CIS |
7K2BRM |
7K3GNL |
7K3MCM |
7K3XKQ |
7L3PXN |
7L3ECZ |
7L3TEX |
7L4CNQ |
7M4THM |
7N4PRS |
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画像説明(画像は全て取手市内です)------------------------
★岡堰と桜 ★取手市街
(さくら荘から) ★小堀の渡し (国道6号大利根橋から)
(おおほりのわたし)
★井野天満神社寒紅梅 取手市利根川 ★八坂神社の神楽 (JA1KPL撮影)
(JG1VNL撮影)
★小貝川のポピー ★取手宿本陣 (JP1JKH撮影)
(染野家住宅)
(他の写真は7K3GNL撮影)
(上質紙による外注印刷+自宅プリンターよる印刷)
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補足説明: (市のHP等より) 逐次追加します。
1.取手宿本陣 染野家
江戸時代、水戸街道は、現在の足立区千住と水戸を結んでいました。大名が宿泊や休息した家を本陣と呼びました。染野家は、代々取手宿の名主を勤めており、水戸徳川家から本陣に指定されました。水戸徳川家の藩主だけでなく、水戸街道を行き来する他の大名や高位の武士も染野家を本陣に利用しました。
江戸時代、取手の宿場はたびたび火災にあい、現在の旧取手宿本陣染野家住宅は、寛政6年(1794年)の火災の翌年に、表門は文化2年(1805年)に再建されました。現在の敷地はほぼ当時のままで、主屋・土蔵・表門・徳川斉昭の歌碑が残っており、当時の様子がうかがえます。
2.八坂神社
取手宿の産土神として、江戸初期から信仰を集めてきました。明治39年に建てられた本殿の彫刻は精巧で、高い建築技術を示しています。
本殿石壇には、建築にかかわった関係者氏名の刻銘があり、笠間神社の彫刻を手がけたことで著名な後藤縫殿之助の名がみえますが、縫殿之助は明治34年に亡くなったため次男後藤保之助は兄の後藤桂林を頼って完成させました。
3.岡堰(茨城100選)
江戸時代幕府が成立し、安定期に入り始めた寛永年間(1624から1644)、関東郡代となった伊奈半十郎忠治は、洪水を防ぐために鬼怒川と小貝川を分離しました。そして取手市戸田井付近の台地を切り開き、利根川と合流する今のような流路が出来上がりました。河川の改修事業は、利根川を銚子沖に付け替える東遷事業の一環として行われたものでした。小貝川は鬼怒川と切り離されることで、川筋が一定になり、寛永7年(1630)には岡堰が設けられました。そして谷和原三万石、相馬二万石と呼ばれる広大な新田が誕生しました。
しかし、工事は現在のように簡単ではなく、多くの労力と様々な失敗を繰り返しながら行われました。勢いの強い水の流れを変えるために堰が築かれましたが、萱と竹を使った「伊奈流」は苦労の末に編み出された独特の工法で、昭和に入ってからも人々は堤防や堰の決壊時に、この伝統的な工法で危機を乗り切ってきました。小貝川と鬼怒川が分離されると、川の流れが安定し、そして改修工事で作られた堰は、水田に水を供給する農業用水路に生まれ変わりました。
4.井野天満神社
この地にお祭りした年代は室町時代の末期天正元年二月二十五日御祭神天神様が昇殿なされた日に京都北野天満宮よりの分霊を申し受けお祭り申したものです」(境内の案内より)。
寒紅梅などの梅の花や四季折々の花木が楽しめます。
5..小堀(おおほり)の渡し
かつて利根川は、取手市の南(現在の古利根沼)を蛇行して流れていましたが、水害が絶えなかったことから利根川改修工事(明治40年から大正9年まで)が行われ、現在の形に姿を変えました。
その結果、当時、地続きであった小堀地区は、利根川により分断されました。利根川の改修により、交通の不便を感じた地域住民によって渡船場の設置が協議され、大正3年に渡し船を出したのが小堀の渡しの始まりと想定されています。
その後、昭和42年には取手町営となり、平成11年に取手市営の小堀循環バスが運行を開始するまで、通勤・通学や、住民の日常生活の足として活躍しました。
現在では、誰もが乗船できる観光船としての役割をもちつつ、茨城県はもとより利根川下流域に残る希少な渡し船として、かつての水戸街道「取手の渡し」の風情を受け継ぎ、今も運航を続けています。