アマチュア無線とのかかわり 高校の思い出から

2010年4月10日   JE1PYH

 昭和51年の4月に、地元の人の間では有名な千葉県立○○高校電気科に入学しました。

 すぐにラジオクラブ(JA!YG)の部室の門をたたき、一部の先輩が軽自動車を乗りまわしていたり、RJX-601(50Mhzだったような)を個人的にもっていたりと非常に興味をそそられる世界を見ました。

 また、八溝山や三峰山に移動運用しに行った時は、カレーライスをお腹いっぱい食べたことと、荷物が非常に重かったことなどの思い出が残っていますが、結局高校2年で交通事故に合い、その後部室に行くこともなくなってしまいました。

 数年前に同窓会があり、無線の恩師でもある担任の先生と会いました。○○郡の工業高校に勤務していて、あと1年で定年とのことでしたが、生涯現役を貫いておりました。

いい人だったんですが、おそらく現在は退職されているはずです。

 その後、電気関係の道をあきらめた私は、オームの法則から企業会計原則に進路変更しました。

 専門学校に進み、2年間毎日、仕分け、損益計算書、貸借対照表作成や3ヶ月ごとの試験をぎりぎりクリアして就職しました。

 先輩職員が電話級の試験を受けに行くので、君も申し込めとのこと。

 私も、昔かじった試験なので早速申し込みを済ませ、勉強しないで本番へ、見事撃沈、先輩も撃沈、2回目は私だけ撃沈、やはり合格に偶然はないことを思い知ったのでした。

 

 3回目の昭和63年はXYLを誘い完全丸暗記を徹底的に勉強し2人とも合格しました。

 この頃は車に無線機を積んで電話ごっこをしていましたが、その後、電話ごっこにも飽きて、いつの間にか無線から離れていました。

 40半ばで超多忙な仕事から、多少楽に呼吸のできる部署へ移動したことから、そこで、ふと思い出しました。

 昔買えなかった無線機も、アンテナも多少でしたら必要に応じてそろえられる環境になっていることを。

 とりあえず、秋葉のロケットで思いつくものをそろえて、HFVHFUHFにデビューしました。ついでに移動運用グッズもそろえました。

 そして、近すぎず遠すぎずのクラブをJARL経由でさがしたところ、JQ1YRB 筑南アマチュア無線クラブの会長を紹介して頂きました。

 CQ誌を読んでも絶対わからない、現場の知恵をおそわりながら、更に上級目指して?できる範囲で頑張りたいと考えています。

 最後になりましたがMLウェーウクラブ(JQ1YZD)の7K3GNL局にもこのクラブでご一緒させて頂いてます。

 JQ1YZDの益々の発展とご活躍を記念して・・乾杯・・

 

  最後まで読んで頂き感謝!!

 

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